元不登校児の育児ブログ

不登校と保健室登校を経験した専業主婦の育児ブログです

はじめましての自己紹介

こんにちは。

私は現在30代前半で、夫と5歳の娘との3人暮らしです。

数年前までフルタイムで働いていました。いわゆるワーママです。

現在は退職して専業主婦に。

 

不登校保健室登校について

私は小6の後半から卒業まで、学校を休みがちな子供でした。

 

理由は本当に本当に大したことなくて、学校の行事で男の子と手をつながなければいけないのが嫌で、その日1日だけ休むつもりがズルズルと・・・って感じ。

 

なぜかそのとき「男女で」手をつながなければいけなくて、その相手になったのがクラスでちょっと浮いてる子。

 

その子と手をつなぐ事自体というよりも、つないだ後まわりのみんなになんて言われるんだろうっていうのが怖かった。

 

今考えると、きっとまわりの子たちだって何も言わなかったと思うし、完全に自意識過剰。でも小6ぐらいってそういう時期じゃないですか。

 

それでその行事の日は仮病を使って休んだんだけど、今度は「1日だけ休んで次の日元気に登校したら仮病がバレるんじゃないか?」ていうのが怖くなりだして。

 

そこからはもう普通に登校するタイミングを失って、自分でもなんで行けないのか、何がどうなったら行けるのか全くわからなくなって。

 

それでもなんとか卒業式には無事に出席。中学からは心機一転がんばるぞ!って思ったのもつかの間。

 

中学では丸々3年間保健室登校でした。

 

これもなぜなんだろう?自分でもよくわからない。

 

田舎の学校だったので他の小学校出身の生徒はいなくて、同級生はほぼ変わらぬメンツで持ち上がり。

 

だから良かったのか悪かったのか、安心なような居心地が悪いような。

 

私が不登校ぎみだったのを知ってる子ばかりで、心機一転なんて気分にもなれず。(これもきっと自意識過剰)

 

小学校までの雰囲気からガラリと変わって、急に大人の世界に放り込まれたような感覚。

 

戸惑う私とは対照的に、スムーズに順応しているように見える同級生たち。

 

入学式後すぐにまた休みがちになり、なんとか保健室で過ごすことはできるようになったけど、結局卒業まで教室に行くことはできませんでした。

 

不登校児が親になり

私は今30歳を過ぎた大人で、小中学校時代に不登校保健室登校をしていた事なんて、ほとんど思い出すことはありません。

 

それほど意識せずに暮らすことができるのは、もしかしたら幸せなことなのかなとも思います。

 

そんな私にも娘ができ、現在は幼稚園の年中さん。

 

娘は幼稚園の先生やお友達が大好き。引っ込み思案でいつもお母さんと一緒にいたい子供だった私とは、正反対です。

 

やっぱり性格って遺伝しないんだなぁ、と感心するのと同時に、少しほっとした自分もいました。

 

心の中では「幼稚園や学校に行きたくないなら行かなくてもいい」なんて寛容な事を思っていても、やはり自分の子供には不登校になってほしくないと願ってしまうのです。

 

だからこそ、楽しそうに幼稚園に通う娘を見て「この子にそんな心配いらないのかな」なんて思っていたのですが、最近ついに登園渋りをするように。

 

このとき「私は行きたくない気持ちがわかるから」と、親の対応としての正解を頭の中で探してみたものの、やっぱりそんなものは簡単に見つかりません。

 

「行きたくないなら休ませる?」「でもこのままズルズルと休み癖がついたら」「無理矢理行かせてそのことが心の傷になったら」と考えがグルグルまわってしまうのです。

 

自分が不登校を経験したからって、こういうときの対応がうまくなるわけではないのですね。

 

娘が初めて幼稚園に行きたくないと言った日から1か月ほど経ちましたが、最近は元気に登園しています。

 

とりあえずは一安心といったところですが、娘はまだ5歳。大人になるまでには小学校、中学校、その先とまだまだ長い道のりです。

 

このブログでは、元不登校児・保健室登校児の私が自分の子育てに奮闘する様子を、記録として残していこうと思います。

 

その中で時々、自分の不登校保健室登校時代のことを振り返ることがあるかもしれません。

 

ちょっと暗くなりがちなテーマですが、なるべくフラットな気持ちで客観性も忘れずに書いていこうと思います。